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求める医療サービスに応じて

7年前に乳がん手術を受けた都内の病院は、「乳がんの疑い、要精密検査」の診断を下してくれた地元乳腺外科クリニック(当時)が紹介してくれた大病院だった。そのクリニックの医師に対する印象がとても良かったので、紹介された大病院で治療することを決めた。ネットでちらっと調べると、その大病院は乳がん手術数日本一(当時)として知られた病院だった。

当時から7年?10年?ほど前に移転新築されたその大病院。近代的で綺麗だった。ホッと出来る空間もあった。入院前、「一般個室はバス・トイレ付きで‥‥差額ベッド代は3万(だったと思う、税別)、4人部屋は窓際は差額ベッド代5000円。無料でXXXが使えます。窓からの眺めもいいです。廊下側は差額ベッドなしですが、‥‥」と説明を受けた。

「え?大部屋で差額ベッド代?4人部屋だから?今では6人や8人の大部屋はないのか‥」と最先端技術の医療現場の現状を知り驚いた。差額ベッド代なしを第1希望にしたが、入院時に案内された部屋は、第2希望の差額ベッド代5000円の4人部屋の窓際だった。事前説明の通り窓際からの景色は最高で、2週間その眺めを満喫した。「眺め・目にするものが気持ちいいと気分が晴れ、体調回復も早くなるな‥」と実感した。病棟看護師はPCを乗せたワゴンと共にやって来た。電子カルテの時代も実感した。

増え続ける乳がん患者の対応に苦慮していた・いるその大病院。ドレーンをつけたままの退院は当たり前だった。私もドレーンをつけたままの退院となり、退院前に看護師から受けた指導を基に自宅で自分で処置した。シリコン・インプラント手術の時もドレーンをつけたまま退院した。「日本も欧米スタイルになってきたな」と思った。初めての手術入院がシンガポールだったので、このスタイル?には違和感はなかった。

※参考:当時、その大病院では、傷口からの排液が一定量以下になればドレーンを外し退院だった。が、排液がなかなか減らず、入院が一定期間を超えた場合は、ドレーンをつけたままの退院となった。


3年半ほど前に福岡で肩の1回目の手術を受けたのは整形外科専門病院。そこそこ知られた中堅病院だった。必要な箇所をリニューアルした建物と内装で、古さが残る部分もあった。印象は悪くなかった。

個室の差額ベッド代は税別3000円(だったと記憶)。様々な要因から個室にした。広々とした個室で2週間間ほど過ごした。個別空調で自分にとって最適な室温設定ができて良かった。

入院患者の管理はマニュアルだった。全て手書き。詳細は省略するが「手書きの方が便利だな‥、いいな‥」と思う場面が結構あった。

乳がんで入院した都内の大病院に比べ入院患者に対する病棟看護師の数が多く、余裕があるためか、看護の質が高いように感じた。福岡の地域性かもしれないが、「設備より人にお金を使っているから?」とも思った。

また、地域性か、中堅病院のためか、入院設定期間が長かった。私は2週間ほどで退院したが、手術前は1ヶ月入院と説明された。「肩の固定が取れて、自身で身の回りのことが出来るようになるまで入院です・入院できます」のスタンスだった。


そして先日までの都内大学病院(数年前に大部分が改築され近代的で綺麗)での入院。福岡での手術と同じ箇所(左肩)の手術だったが、「一般的に3泊4日の入院。最長で1週間」と説明を受けた。「福岡と東京という地域性の違い?中堅病院と大学病院の違い?」などと考えてしまった。麻酔の副反応の嘔吐のため1週間間弱入院したが、これがなければ予定通り、手術の翌々日に退院していたと思う。

入院説明時。「新館では差額ベッド代7000円と8000円(税別)の4人部屋が一番安い。差額ベッド代なしの部屋は旧館の6人部屋か8人部屋」と案内された。新館にも差額ベッド代なしの部屋があるようだが、案内時には「空きなし・対象外」のようにバツ印がされていて、家に帰ってじっくりと病室一覧を見るまでは、「新館の差額ベッド代なしの部屋」の存在に気づけなかった。6人部屋の部屋の状況を聞き、新館の7000円の部屋を希望したが、案内されたのは第2希望の8000円4人部屋だった。

病棟の看護体制は乳がんで入院した都内の大病院とほぼ同じ。看護師はPCと共にやって来た。人数もギリギリ。福岡のような手厚い看護ではなかった。乳がん入院の時は乳腺外科専門フロアーで入院患者の平均年齢は低かったのに対し、今回は整形外科を中心とした高齢者が目につくフロアー。看護師の介助が必要なシーンが多く、看護師が足らないように感じる場面が多かった。

ネットは5G/第五世代へ。いろんな場面でAI/人工知能の導入が進んでいる。医療現場も同様で、大病院では設備投資にお金が益々必要となる。「となると‥人への投資が減り‥」と思ってしまう。現に「新しく設備がいい病院は経営が‥だから‥人は減り‥」といったことを耳にする。

病院には役割がある。患者は自分の求める医療サービスに応じて病院を選ぶことが益々必要になると今回の入院で痛感した。

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入院中に彼女を想う

先日までの肩の2回目の手術入院(大学病院、関節鏡下手術、左肩習慣性脱臼)。差額ベッド代が税別8000円の4人部屋だった。「都内の基幹病院では差額ベッド代を支払うのが当たり前の時代?」と思ってしまった。詳細は後日。

その4人部屋のお一人が寝たきりの高齢者。認知症が多少あると思われ、夜中にそこそこの声で歌ったり、一人ごとを言った、うめいたり‥。気にせずマイペースに過ごすことが必要となる。差額ベッド代を払ってもだ。もちろん、あまりにも不快で寝られない等のストレスがあればナースステーションに相談すべきであり、相談できる。が、混み合う病室では限界があるのも事実だ。因みに、個室の差額ベッド代は最低ても3万だったと記憶している(要確認)。

それで‥。術後、手術室で全身麻酔から起こされた瞬間から嘔吐が始まった私。病室に戻ってからも嘔吐が続き苦しんだ。夕方5時半あたりから翌朝10時あたりまで嘔気嘔吐が続いた。なので、この夜は一睡も出来ず。前出の同室の寝たきり高齢者のお歌やうわ言を聞きながら過ごした。

その高齢者のうわ言ははっきりと聞き取れないものが殆どだったが、「痛いよ~」「帰りたいよ~」ははっきりと聞き取れた。そして、「帰りたいよ~」の出現頻度は高かった。

私は1時間周期でやってくる苦しみと嘔吐と戦いながら、彼女の「帰りたいよ~」を聞き、昨年のクリスマスに悪性リンパ腫治療のための抗がん剤の副作用(副作用とは100%は言えないが、抗がん剤治療中に難病指定の呼吸器疾患に罹り、これにより旅立ってしまった)で他界した、新卒で入社した会社同期の友人のことを何度も思い出した。

丁度1年前の大阪帰省中。「神様が私達を会わせ時間をくれたの?」と思ってしまうほどの奇跡的偶然が重なり、私は彼女が入院する病院を訪ねることができ、しかも彼女はその日は奇跡的に調子がよく、奇跡的にかなりの会話ができた。病室に入った時は呼吸が苦しそうだった彼女の呼吸がどんどん安定し彼女の口数が増えた。最後の方はいつもの彼女と話しているような錯覚に陥るほどだった。それから1ヶ月半後に彼女は旅立ってしまうのだが‥。

その時、「家族は私が病院にいた方が安心だと思うけど、家に帰りたい」と彼女は言っていた。

私自身が嘔吐に苦しみながら病院のベッドに横たわり聞く「帰りたいよ~」という同室高齢者のうわ言。「XXちゃん(私の会社同期の友達)は10ヶ月この景色だけを見て苦しみながら戦っていたんだよな‥。辛いな‥。家に帰りたかったよね‥」など色々考えてしまった。

そして、先日、たまたま目にした"老衰で亡くなる人の数、日本一「最期は自宅で」を叶えるあの街、秘密—神奈川県茅ヶ崎市"の記事を思い出した。


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本能で感じ取る人の想い—-看護

7年ほど前に乳がん手術を受けた時。予定開始時間は午後3時だったが、前の手術が長引き待たされた。初めての大きな病・癌の手術ということもあり、緊張のためか、2時間ほどの待ち時間がとても長く感じた。今なら「2時間ぐらいの遅れはよくあること」と思える。ある意味、医療に慣れた。

夕方5時過ぎ。急に手術室から呼ばれるた。「すぐに来て下さい!」と言われバタバタと手術室へ。当時の手術室の状況から、予定していた手術室ではなく、空いた別の手術室に急遽変更して手術を行うことになったと思った。

家族と別れて手術室ゾーンに入ると、手術に入る看護師が待っていた。手続きを終え彼女と2人で手術室に向かう時、「お待たせしました。緊張されていますか?大丈夫ですよ」といった言葉とともに、彼女が私の背にそっと手を添えてくれた。彼女の手の温もりが伝わるとともに、緊張が抜けリラックスした。この自身の変化に驚いた。初めての感覚だった。彼女の心が彼女の手を通して私に伝わり、安心できたように思えた。

インド・チェンナイで学んだアーユルヴェーダ。理論と施術の双方を学んだ。オイルマッサージの施術を学んでいた時、一緒に学ぶクラスメート?の練習台によくなった。施術をしてくれるクラスメートの心の状態・気持ちが手を通じて伝わってきた。同じ人でも、その時の心の状態によって、手から伝わるものが明らかに違った。怖いな!と思った。施術のスキルが上手くても、心がこもっていないと、それは施術を受ける人に伝わる。

そして今回の先日までの入院。同室に寝たきりの高齢者がいた。看護師とのやり取りから、目を開けるのも辛そうな感じだった。カーテン越しに看護師による痰の吸引や食事介助の様子が伝わってきたが、この高齢者の彼女の反応は看護師によって大きく異なった。温かみがあり、しっかりと説明をしながら彼女に接する看護師さんには素直に従っていた。彼女にとって苦しい事でも彼女なりに頑張っていた。その反面、ちょっと強引だったり、患者ではなく看護師の立場からモノを言うような看護師の指示には全く従っていなかった。私は言葉からのみ感じ取っただけだが、看護をされているその高齢者の彼女は、看護師の動作や手からも本能的に感じ取っていたのだと思う。

彼女が素直に従っていたのは男性看護師1人と女性看護師2人。男性と女性1人はキャリアがそこそこある看護師に思えたが、もう1人の女性看護師はまだ若い。この看護師3人の看護には共通があり、「患者にとって辛い処置を何で行わなければならないか」という説明があり、常に患者の立場に立った発言だった。辛い処置にその高齢者が頑張って協力すると、「ありがとうございます!協力して頂いたので、キレイになりました」といったお礼や褒めの言葉もあった。そして何より、言葉から思いやりや温もりが伝わってきた。

先日、友人がシェアしていた下記動画。このセラピー犬も同様だ。患者の心を汲み取り寄り添っているからこそ患者に伝わり、患者はそれを感じ取り救われる。この動画、最後まで観てみて下さいね。





これは看護だけに言えることではない。相手を思いやる。日常生活においても難しい.....

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男性看護師

7年ほど前に乳がん手術で入院した病院は乳がん患者で溢れていた・いる大病院。病棟の入院フロアーの半分が乳腺外科、もう半分が婦人科のレディースフロアーだった。そのためか、看護師は全て女性だった。

先日、肩の手術で入院した大学病院の病棟フロアーは、整形外科を中心とした外科フロアー。部屋は男女別だが老若男女の入院患者が混在していた。超高齢化社会の日本。当たり前だが、高齢者の入院患者が目立ち、50代の私は超若手!という感じだった。

そして、時代の流れか、整形外科の入院患者が中心のフロアーだったためか、男性看護師がそこそこいた。女性看護師の方が多いが、男女比で3:7ほどに思えた。実際の比率は分からない。

術後嘔吐からやっと解放され、普通ケアで大丈夫な入院患者になった日。私の日勤担当看護師は新人男性看護師だった。

手術直後からこの日の前日まで、傷口やガーゼなどの関係上、肩のサポーターは素肌に装着し、その上から甚平スタイルのパジャマを着ていたが、男性看護師が担当のこの日は、リハビリに備え、Tシャツを着てその上からサポーターを装着する必要があった。

「お着替えのお手伝いは僕で大丈夫ですか?」とこの若い男性看護師。乳がん&乳房再建闘病での慣れと私の性格から「大丈夫です!お願いします」と即答した。躊躇はなかった。彼に手伝って貰って着替えた。

またこの日は、術後始めてシャワーを浴びる日だった。シャワーが自分である程度出来るようにならないと退院許可が出ないこともあり、また安全性の観点からも、看護師の見守り・介助が必要だった。

「シャワー初日なので、看護師が必ず介助しますが、僕で大丈夫ですか?」と若い男性看護師から尋ねられた。さすがにちょっと躊躇してしまい、一瞬間があき「大丈夫です」と私。「難しいな‥」と思った。

結局、シャワー介助をしてくれたのはベテラン女性看護師だった。女性看護師に変わった本当の理由は分からない。

男性患者さんが女性看護師による入浴やトイレの介助を受ける場合は、「看護師は女性が多いから当たり前・仕方がない」「できれば男性看護師がいい」「女性の方がいい」など、どう思っているのかな?と考えてしまった。

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乳がんサバイバーには辛い.....





3年半ほど前に、福岡で肩の1度目の手術を受けた時の術後の固定は3週間。下記のように、よくあるアームホルダーと大きな医療用バンドで肩を固定した。




当時の記事には、下記のようにある。
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シリコン・パイ(右側、肩の手術は左側)の私にとっては、この白い医療用バンドがとっても不快だった。その理由は....。健側の乳房は凹んでくれるが、シリコン・パイは凹むことなくバンドの締め付けに反発。圧迫感・締め付け感を結構感じたからだ。この写真撮影をした直後に主治医にその不快感を訴え、巻き方を変えたので、多少はマシになったが、それでも圧迫感はあった。巻き方を変えた時点からは、再建乳頭を押し潰さないように注意を払ったが、再建乳頭の高さが多少低くなったように感じている。
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上記の当時の記事を久しぶりに読んで、「再建乳頭を気にかけていたんだ!」と驚いた。考えてみれば、1回目の肩の手術は、乳頭を再建してからまだそんなにも時間が経っていなかったので当然かもしれない。現在は、乳輪乳頭への関心はほぼゼロだ。時間の経過とともに、再建乳房の美しさに関する関心は薄れ、シリコンパイ=目指せ違和感解消!となっている。最近ではそれに異常チェック(悪性リンパ腫関連)がちょっびり加わっている感じだ。美意識低下だ。

話しを戻して‥。今回は病院の指示で術後に肩の装具・サポーター(定価3万弱、装具なので後から必要書類と共に健康保険組合に申請し70%が還付される)を使用している。現在は下記画像(私は左肩に装着)の右下の状態で来月には左上。サポーターから完全に解放されるのは来年2月の予定だ。長い!





余談だが、装具は24時間装着しているが、装具を外してのリハビリは手術の翌日(私は嘔吐で翌日は無理だったが)から、肩甲骨を中心に始まっている。

この装具は、手術前にサイズを合わせるが、初めて装着した時に「マジ?これは辛いぞ!違和感が一番強い乳がん患側の脇下からシリコンを通るじゃん!」とかなり不安を覚え、その旨を装具屋さん(大学病院内に装具屋さんが常駐している)に伝えた。修正できる範囲でのアレンジをお願いしたが限界あり。渋々覚悟を決めた。

この装具を初めてつけた時から手術までの1ヶ月で体重が少し減り、乳がん患側の右側肩甲骨周りの運動を増加。幸いにも多少効果があり違和感が多少軽減したが、それでもこの装具はかなり不快だ。しかも3ヶ月‥。乳がんサバイバーなので仕方がない。

今回の手術。乳がん患側の右側を下にした横向きの体勢での6時間半の手術だった。術後直後はやはり右手に浮腫みがあった。嘔吐で苦しみながら、右腕をあげグーパーグーパーしていた。

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